カナダ現代ログハウスの父
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エド・キャンベル物語  第6回 ログ工事の開始そして引越し

日本でもなじみの深い、カナダのマスタービルダー
エド・キャンベルの自伝
■主な内容
  • 全てが初体験。試行錯誤しながら一歩ずつ前へ
  • 屋根が完成し、まだ 地下室でではあるが、念願の
     ログハウス暮らしが始まり
  • リラックスして生活をエンジョイできる心の余裕が
     ようやく生まれた
     

    第1回 自然に親しんだ少年時代

    第2回 家族との楽しい日々

    第3回  初めてのログハウス造り

    第4回 子供の頃からの夢の実現

    第5回 丸太を手に入れ、いざ開始

    第6回 ログ工事の開始そして引越し

    第7回以降に続く 

                 

    第6回  目次


  • 関連ペイジ
    エド・キャンベル紹介
    エド・キャンベル (雑誌記事)













    1.すべてが初体験

      地下部分のコンクリート壁が完成すると。ピーリングの終わった丸太を、この地下室の近くまで運んで来なければならない。それでやっとログワークが始まるのである。
     ご存知のとおり、1本の丸太は非常に重く、とても人力で動かせる代物ではない。
      そこで私は、地元の牧場主からオンボロのトラックを購入し、そのトラックに、電話会社から手に入れたデリック(クレーンの一種)を搭載した。
     一段目のログをクレーンで積んだ

     デリックには、丸太を吊り上げるためのウインチも取り付けた。これで不安定ながらも、トラックを運転しながら丸太を移動することが可能になった。

     丸太を吊り上げたままバックでログハウスに近づき、ウインチを緩めて、丸太を1本1本定位置にフィットさせていく作業は非常に時間がかかり、困難な作業だった。しかし確実に1本1本を建物まで運ぶことはできる。

     試行錯誤を繰り返しながら
     ノッチを組んだ経験なんて一度もなかったし、
    それがどういうもので、どういった作業をすればいいのかをおしえてくれる人もいなかった。

      それを実践しながら体得していくしか方法がなかったのである。
    スクライブやグルーブを刻む作業も同様で、試行錯誤を繰り返しながら、最良と思われる方法を見つけ出し、自分のものにしていくしかない。
      ずいぶん悩みもしたし、時間もかかったが、いつも正確な刻みができたとおもっている。
          グルーブを刻むエド

     ノッチ部分はアックスで、グルーブ部分はチェーンソーで刻み、仕上げはノミで行った。また、 できるだけ自然素材の姿を生かすために、丸太と丸太の隙間を生めて断熱材に、苔を使うことにした。

      この苔はスパグナム・モス(sphagnum moss)と呼ばれるもので、どこにも自生している。
     苔を使うことの長所は、乾燥させて圧縮すると、木のように固くなる点にある。

      友人のフレッドが、私の家に使う分の苔をたった一日で集めてくれた。
     作業状況はとてもゆっくりしたものだったが、73‘年の夏には、確実に完成に向かいつつあった。



     愛犬バスター
     その頃私たちは、敷地内で、鶏、あひる、豚、そして馬などを飼っていた。二人とも、農場に暮らしていた子供のころにもどったような気分を満喫していた。
    そうそう忘れてはいけない大切な家族の一員がいる。愛犬のバスターである。

     彼は鎖や首輪とは無縁で、私たちのよき仲間として、自由に野山を駆け回っていた。ところが困ったことに、バスターは喧嘩好きで、ちょくちょく隣家に忍び込んでは、その家の犬にちょっかいを出していた。
    喧嘩をしても、ほとんど負けることはなかったのに、ある日隣家の何匹かの犬がやってきて、バスターをこてんぱに負かしてしまったのである。彼にとってはいい薬になったことだろう。

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    2.作業小屋に引っ越し

     73年秋、これまで住んでいたカムループスの家を友人に貸し、渡したちは、ここピナンタン・レイクの作業小屋に引っ越してきた。  これで、何の気兼ねもなく、思うぞんぶんにプロジェクトに取り組めるようになったわけである。

        アックスでノッチを刻むエド

     さあ、ログシェルを完成させて、早いとこ屋根を仕上げてしまわなければ、冬までには、もっと広くて暖かで快適な地下室に住めればいいのだが・・・・

     それにしてもこの夏は素敵だった。飽きることに素晴らしい仕事、訪ねてきてくれる友人たち。
     私自身も仕事に精を出し、ログビルディングを学ぶことが出来た。

     アイリーンもピーリングに励んでくれると同時に、家庭をまとめてくれた。
      ピーリング、ヤード掃除、動物たちの世話、野菜畑の管理など、子供達もよく働いてくれたと思う。
      おかげで新鮮な卵や野菜、そして鶏肉は裏庭から自給できるまでになってきた。

     夏も終わりに近づくころ、野山にはハックルベリーの季節が訪れる。自家製のパイに入れたりジャムを作るために、人々はピクニック気分で、山にベリー摘みに出かける。

     キックバックで怪我
     ログビルディングは、時として非常に危険な作業だと思う。太いものは1本が約1トンもあろうかという丸太が、デッキの上で思わぬ方向に回転したりする。
      建物の上から落ちてこようものなら、ひとたまりもない。物を壊したりビルダーたちを傷つけたり、あるいは命に関わる重大な問題も、 ごくたやすく起こり得るのである。
      ほぼ完成してログハウスの向こうにキャビンが見える

     そればかりではない、私たちビルダーにとって最も貴重な工具であるチェーンソーも、とても危険な道具の一つになる。
      特にログハウスづくりではノッチを刻むときや直接彫刻を施すとき、ちょっとでも気を緩めれば、キックバックという現象を起こすことがある。

      キックバックとは、チェーンソーのバーの先端のある部分が丸太に触れると、バーが弾かれることをいう。 それがビルダーを直撃するのだ。

      うまくチェーンソーのブレーキが利いてくれればラッキーで、高速で回転しているチェーンが体にぶつかれば痛さに顔を歪めながら、そのまま病院に担ぎ込まれることは必至。

      あるとき、こんなことがあった。窓の開口部をカットしているとき、私のチェーンソーがグルーブにさしかかった。そこには7〜8cmの木の切れ端があったのである。
      本来なら作業を開始する前にチェックして、木片を取り除いておくべきだったのだが・・・・。
     全くの私の不注意だった。高速で回転しているチェーンがその木片に触れたとたん、木片は弾き飛ばされ、見事私の下唇に命中したのだった。

      危うく建物から転げ落ちそうになった。直ぐにアイリーンが病院に連れていってくれたが、唇を10針縫うことになった。この出来事は、もしかしたら得意になっていた私への小さな戒めだったのかもしれない。
      以後チェーンソーを使うときは、いつも細心の注意を心がけている。

    3.地下室でのログハウス暮らしスタート

     高い山で生活しているので、秋の訪れとともに、急速に寒気がやって来る。9月も半ばになると、夜には 霜が降りるので、早く屋根を仕上げてしまわなければならない。
      同時に、地下室に移る準備もしなければならなかった。

     作業用に建てたキャビンには、シャワーも風呂の設備もなかったため、薪ストーブで沸かしたお湯を使い、一人ずつ交代で体を洗わなければならない。そこで週に一度は町に出て、友人の家でシャワーを浴びさせてもらうことにした。このときばかりは何ともいえない幸福を味わうことが出来た。

      垂木を載せて、屋根工事の準備

     小さな臨時のキャビンには、断熱材という優れた代物など使っていなかったから、ストーブの火が消えてしまった夜などは、どんなに寒かったことか。
      このときほど、地下室に移り住むことの重大さを痛感したことはなかった。

      11月はじめ、たった一つのことを除けば、やっと引越しの準備がととのった。その一つのこととは、屋根工事最後の作業である、シングル葺き。
      想像していた以上に屋根の面積が広く、手間のかかる作業を強いられた結果である。

     それに追い打ちをかけるように、ストームが接近してきていた。このストームが本格化する前に屋根作業を終えなければ、大変なことになりかねない

        新しいログハウスの屋根、シェイク張り
     屋根工事
      私はアイリーンに手伝いを頼んだ。風一段と強さを増し、とうとう雹や雨が降り始めてきたのである。悪化する一方の天候の下、私たちは懸命に作業を続けていった。
     ストームの風はけたたましい唸り声を上げ、まるで私たちの手からシェイクをもぎ取ろうとしているかのようだった。その時さらに強い風がふき、バランスを崩した私は、地面に叩き落されてしまった。

    幸い怪我もなく、何とか作業を終えることができた。これで安全に、我が家が冬を越せる場所の完成である。

    4.ついに念願の引越し

      1月の第二週目、私たちは無事に地下室に移り住むことが出来た。まるでお城にでも引っ越してきたかのような感じである。地下室にはシャワーがあり、暖房設備が整い、ベッドルームは二つ、別にキッチン。キャビンと比べると、全くの別天地である
     
     私たちが夢にまで描いた家での生活が、ついに始まった。メインのログハウスはまだ完成したわけではないが、ある種の満足感と安堵感、そして成功の味を味わうことが出来た。
      丁度そんなとき、オンタリオに住むアイリーンの父が亡くなったという悲報が届いた。彼女はすぐにオンタリオに向かい、私と二人の子 供家が家に残ることになった。故人は信望厚く、子供達からもよく慕われていた。

     リラックスして生活をエンジョイ
     アイリーンがオンタリオから戻ってきたとき、私は自分自身のこれまでのことを振り返ってみた。働き過ぎではなかったろうか、リラックスしたり、子供や友人達と楽しく時を過ごすことを、いつ間にか忘れてしまってはいなかったろうか・・・。
     
     まもなくクリスマス。ペースをすこしばかり落とし、リラックスしてここでの生活をエンジョイしよう。
    やがてクリスマスが訪れ、私たちは心ゆくまで。この特別の休暇を楽しんだ。
    松林の中の、深い雪に閉ざされた静かなピナンタン・レイクの冬が、私には一番美しいように思う。

     好きだった釣りを再開
     ここ一年、気がつくと私は、あんなに好きだった釣りにも行っていなかった。トラウトの棲む湖が、ここB・C州にはたくさんある。私たちはピナンタン・レイクや、近くのポール・レイクにアイスフィッシングに出掛け、一日中湖の上での釣りを楽しんだ。

      ブライアン(右)と、友達のデービッド とバスター

     湖面に張った氷に穴をあけ、レインボートラウトを釣る。寒く、晴れ渡った空気の中、サンドイッチやビール、コーヒーを持参して、家族と一日中、氷の上ではしゃいでみる。
     そんな時は決まって、娘のブレンダが、一番たくさん魚を釣り上げた。

     この年のクリスマスは最高だった。念願のログハウスを建て、まだ地下室ではあるが、そこに暮らし始め、家族全員が健康で一緒にいられることが。

     こうして私たち一家のログハウス暮らしがはじまりました。次回は、このログハウスの内装工事でのハプニングや、このログハウスが、私がビジネスを始めるにあたって、どれほど勇気づけてくれたかをお話したいと思います。では次回お目にかかりましょう。

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