カナダ現代ログハウスの父
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エド・キャンベル物語  第5回  丸太を手に入れいざ開始

日本でもなじみの深い、カナダのマスタービルダー
エド・キャンベルの自伝

■主な内容
家族力を合わせてのログハウス造り
木を伐採して運び、井戸を堀り、基礎を作りと
全て自分たちだけの力でやり遂げた。
ログハウスが完成するための一時的な小屋も
造った。


第1回 自然に親しんだ少年時代

第2回 家族との楽しい日々

第3回  初めてのログハウス造り

第4回 子供の頃からの夢の実現

第5回 丸太を手に入れ、いざ開始

第6回 ログ工事の開始そして引越し


第5回  目次



関連ペイジ
エド・キャンベル紹介
エド・キャンベル (雑誌記事)

















1.自分たちの手で木を伐採

 設計が終了し、次に取り組まねばならない問題は、どうすれば丸太を入手することができるかということ。
もちろん丸太が、材木屋から購入できることぐらいは知っていたし、事実それが一番楽な方法でもあった。
 しかし私の望みは、そんな方法で安易に丸太を手に入れるのではなく、深い森の中から必要な本数の丸太を選びだし、自分たちの手で切り倒し、それで家を建てることにあった。
 当時のB・C州には、ログハウスを建てようという人々のために、ユニークな制度があった。
 それはなにがしかのお金を政府に払って許可を得れば、決められたエリアで、決められた本数の丸太を伐採することが可能だというもの。
   雪が深くて木を伐りだすのに苦労した

 伐採の開始
 当時ログハウスを建てようなどと計画する人は、非常に少なかったのではないかと思われる。
 開拓時代の昔から、そこに育った木を切り倒して造られたのがログハウスだから、何も高いお金を出して材木屋から丸太を買い、わざわざ森に運んで刻むといった手間をかける人などいない。

 それで、前述のような制度が作られたのではないだろうか。その名残か、人々は許可を得て森に入り、その年の冬に使用する薪を、必要なだけ運び出してよいことになっている。
 ただし薪として運び出せるのは倒木か立ち枯れの木に限られており、これには森を守るという側面がある。
 話が横道にそれてしまったが、ピナンタン・レイクから20kmほど入った場所が、政府から私たちが割り当てられた区域で、1972年の冬、長い間思い描いてきたログハウスのための伐採を開始した。
 その場所は辺鄙といってもいいほど人里離れ、冬の間は深い雪に、道さえも閉ざされてしまう所であった。

2.アイリーンとの冬の日の思い出

 週末になると、私とアイリーンは、雪靴に履き替え、チェーンーとナタ、そして僕はいくばくかの食糧を携えて森にはいり、割り当てられた木々を伐採し始めた。それまで木を伐ったことなどなかったため、本を読んだり、知恵を絞ったりして、木の伐採方法を身につけていった。

 厳冬のなか、深い森の中で、私たちは、本当に良く働いたと思う。木を切り倒すことだけではない。枝を払い、適当な長さに切りそろえることもしなければならないのである。
 そして、切りそろえた木が私たちのものであることをわからせるために、丸太にマークをつけることも大切な作業である。切り倒され、マークをつけられた丸太は、そこで春を待つことになるのだ。
   キャンプアイヤーとランチを楽しむアイリーン

 誰にも邪魔されない、平和な時間を共有


 木の伐採は重労働だったが、その作業を通じて、私とアイリーンは静かで、誰にも邪魔されない、平和な時間を共有することができた。

 林道から深く分け入ったその場所は、町の雑踏とは無縁で、キャンプファイヤーをはさんで手作りのサンドイッチを食べる私たちの耳に聞こえるのは、薪のはじける音と、時々響き渡る鳥の囀りだけだ。

 そんな冬の一日を、私たちはこころゆくまで堪能した。時には、この神秘なまでの静かな自然空間を共有するために、数人の親しい友人と連れ立って森に入ることもあった。  降りしきる雪の中、キャンプファイヤーを囲んでウィスキーを飲み交わし、夢を語り合える友人たちと過ごした貴重な時間を、今でも私は決して忘れない。

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3.家族総出でログハウスづくりに着手

 トラクターで伐採した木を森から運び出す

 春が訪れ、雪が解けると、冬の間に伐採下丸太を、トレーラーが乗り入れる場所まで運ぶために、私はスキーダーを雇うことにした。
  スキーダーとは、とても大きな重機で森の中で作業できるように設計されたもの。

 しかし森のなかは非常にラフで道は荒れ放題、スキーダーでさえ丸太を回収するのは困難を極めた。一度などは、 急坂でスキーダーがひっくり返ってしまったが、幸いドライバーに怪我はなかったものの、危うく押しつぶされてしまうところだった。

  ドライバーは自力で這い出してきた。その姿をみてどんなにほっとしったことか。夢のログハウスを建てるために、誰にも怪我をして欲しくなかったのである。
 ついに丸太がピナンタン・レイクのほとりの、私たちの土地のビルディングサイトに搬入された。

  ピーリングはアイリーンの仕事

  運び込まれた丸太は、ピーリング(皮むき)のために、地面から一段高い位置に組んだデッキにならべられる。このピーリングがアイリーンの当面の仕事。 女性にとってピーリングはひどく骨の折れる作業だったに違いない。息子のブライアンや娘のブレンダも、アイリーンの仕事を手伝ってくれた。
  丸太に囲まれたエドとアイリーン

  時々、町に住む友人の手を借りることもあった。彼女の友人たちは、普段の生活では味わうことの出来ない、野外で汗まみれになって働くことや、ログハウスづくりの一員となって参加していることに満足気のようだった。

 実際にログシェルの刻みを始める前に、ひとつしておかなければならないことがあった。


 
    寝泊りできる小屋を作った
まずは小さな小屋を作った

  週末だけとは言えログワークが始まれば、そこで寝泊りしたり、調理をしたりできるキャビンが必要になる。

 そこで、まずはちっぽけなキャビンをこしらえることにした。約2.5m×3.6mの空間しかない小屋に、小さなベッド、小さなテーブル、カップボード、小さな薪ストーブ・・・・部屋の中にある物はそれだけ。

  それは小さな、小さな部屋だったが、私たち一家にとってはこざっぱりとして、とても居心地のいい空間であった。

4.ログハウスづくりは変わり者のすること

  ピーリングするアイリーンと愛犬バスター

 73‘年の夏は、ログハウスづくりという私たちの夢の理解者や実際に作業を手伝ってくれる人たちの訪問を受けた。

 しかし、ほとんどの人々にとって、私たちの考え方(自分でログハウスを建ててしまうということ)は、理解しがたいものだったに違ようだ。

  当時ログハウスは一般的ではなく、誰もそんな家に住みたいとは思っていなかったに違いない。

そのような人々に、ログハウスというのはとても美しい建物であると理解してもらうことは、私にとっての挑戦でもあった。

  真っ先に井戸掘り
    ドリルマシーンで井戸を掘り当てる
 アイリーンがピーリングに精を出している間、まず私がしなければならなかったのは井戸掘り。水を探し当てなければ、そこに家を持つなんて不可能なのだから。
 地盤はとても硬い岩盤だった。ということは、家を建てるには適しているが、井戸を掘り、水を探し出すことは困難を強いられることを意味する。

 しかし、きっと幸運が見方してくれたのだろう。約50m掘り下げたとき、冷たい清水が吹き上げたのである。 次は、地下室になる部分を掘らなければならない。

カナダのほとんどの家はコンクリート壁で、それ自体が基礎を兼ね、高さ約2.4mの地下室を持っている。

 私の所は、地中に大きな岩がごろごろしているため、それを動かしたり取り除いたりするのに、とても骨が折れた。
 

5.家族一丸での取り組みは私たちの誇り

 ある日私の弟が、奥さんを連れて訪れた。彼女に会うのは、このときが初めてだった。
丁度二人がやってきたとき、私は地下の大きな穴の中にコンクリートを流し込む作業をしていた。

基礎を打つための土壌づくりをするエド         測量するアイリーン

      基礎のコンクリートを流し込む

 奥さん(ヨーランダという)は町中で育ったので、ログハウスなんて見たことも聞いたこともなく、ましてや自分の夫の兄がログハウスを、それも自分の手で建てているとは、想像も出来なかったに違いない。
だから、弟が私たちを紹介したとき、「ちょっと変わり者の家族だ」と思ったようだ。

 私たち家族にとっては笑い話に過ぎないエピソードだが、当時の人々にとってみれば、ログハウス建築に対して、それ程度の認識しかなかったことを証明する話かもしれない。

 そのころ私たちはまだ都会に住み、私自身も電話会社に勤めていたから、作業を行うのは仕事を終えた夜間や週末あるいは夏休みなどに限られていた。

だから、町のなかにある私たちの家を維持するのと、ピナンタン・レイクのプロジェクトを同時に進行させなければならなかった。
 その意味では自由になる時間なんでないに等しいにもかかわらず、人生のなかで、とても貴重な時を送っていたように思う。
家族一丸でこのプロジェクトに取り組むことが私たちの誇りでもあった。   

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