カナダで開いたログハウスの学校
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第9回 世界一のログハウス

 ログハウス見学の最終目的地はケベック州のモンテベーロ、カナダを一挙にひとまたぎして、カルガリーから飛行機で飛んだ。ここには世界一のログの建築物シャトーモンテベーロベーロが建っている。

 4カ月という信じられないスピードで成し遂げられたことから、世界の7不思議のひとつに数えられたりもする壮大な建築物だ。今はCP(カナダ・パシフィックレイルウエイ)がホテルとして経営している。 

 建設がスタートしたのは1930年2月というから実に今から83年も昔の話だ。

  • 第1回 スクールを開いたいきさつ 

    第2回 スクールでの楽しき日々 

    第3回 アウトドアの天国 

    第4回 ログの完成そして旅へ

    第5回 エド・キャンベル

    第6回 出あったログハウスたち

    第7回 once in a life time builder

    第8回 ログハウス見学の旅

    第9回 シャトーモンテベーロ


    第1回  目次

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    カナダでのログハウスの学校
    毎日グラフ記事
    アサヒグラフ

    世界一のログハウスを建てた男

     

     

     

     

    1.シャトー・モンテベーロへと向かう

    1-1. 黄葉のメイプル街道を走る

    スクールサイト ダンの運転するレンタカーでオタワリバー沿いの道を、シャトー・モンテベーロへと向かっていた。
     10月12日、通称メイプル街道と呼ばれるこの街道は、まさに紅葉の真っ盛りで、華やかな色をちりばめて我々の眼を楽しませてくれる。 
    いよいよ念願のシャトー・モンテベーロをこの目で見ることが出来る。そしてマスタービルダーのビクター・ナイマークに会える。

     着いたのはたそがれ時、洒落た丸太作りのゲートをくぐると、薄暗くなりかけた青空を背景にシャトー・モンテベーロの威容が目の前に迫ってくる。

     

     

    スクールサイト
     外観の見学は明日の楽しみにと、はやる気持ちを抑えシャトー内部へと足を踏み入れる。ロビーに入ると、聳え立つ六角形の大暖炉が真っ先に目に飛び込んできた。
     その暖炉がいわば大黒柱の役割を果たし、丸太の登り梁が、まるで巨大な唐傘を広げるような形で放射状に広がり、その端を何本もの柱が支えている。
     チェックインはダンに任せて、私は暖炉の傍らのソファーに深々と座り込み、この大空間を見上げた。これは今まで見て回ったと同じログハウスといえるのだろうか。まさにログシャトー(丸太の城)である。

    全景

    1-2.世界中からの来訪者

    ゲート
    シャトーモンテベーロのゲート

     しばらく見回した後ソファーを離れ、その柱の中の1本に近寄り抱えてみたが、とても抱えきれない。
    直径60cmはある。
     クラシックなデザインの階段を登り、ロビーをぐるり取り囲む形の円形の回廊をひと巡りする。回廊は二層になっていて更に階段を登り上の回廊をまた一回り。
     建物内部を見学して回った後、割り当てられた室へと向かった。丸太を組んだ面は一面のみで、その面を除く残りの3面は古風なシックな感じの寝室であった。家具調度もアンティークな感じである。90年近く前の建物だから、クラシックなのは当然だが、その古風さが何故か心を落ち着かせる。

    登り梁

    ◆写真上:大黒柱の暖炉からはりめぐらされた梁とそれを支える柱

    スクールサイト 室で一休みした後ロビーに集合し、ダイニングホールでデイナー。格調高いホテルであることを意識してか、生徒達は皆見違えるように正装しているのがおかしい。
     世界中各国からの客が滞在しているのだろうか、いろいろな言葉が飛び交いゆったりと晩餐を楽しんでいる。
     私達もスペインのノルド地方の出身だという陽気なウエイターのサービスを受けながら食事を楽しみ、満ち足りた思いと満腹のお腹をさすりながら、それぞれの室へと引き上げた。

     

    階段



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    2.快男子ビクター・ナイマーク

    2-1. フィンランドからカナダへ

    平面図
    シャトーモンテベーロベーロの平面図。 六角形のロビーから四方向に宿泊棟が翼を広げ中心には世界一の暖炉がそびえ立っている。

     ビクター・ナイマークがログハウスの仕事を始めたのは16歳、北欧のフィンランド。カナダに渡ったのは23歳、1924年の事だ。渡航に予想外に費用かかり、着いた時ポケットに残ったのは25ドルだけ、言葉も分からない。あるのはフィンランドで身に付けたログハウス作りの技術だけ。
     どんな気持ちでフィンランドを離れ、カナダに渡ったのだろうか。

     6年という短い期間にマスタービルダーとしての実績を積み、29歳でシャトー・モンテベーロの建築という大仕事の総指揮を引き受けることになる。 
     最大3500人もの人間が昼夜3交代で建設を進め、その先頭に他立、4カ月という信じられないような短期間にそれをみごとに成し遂げた。
     シャトーモンテベーロを建設する、それ自身が叙事詩、壮大な物語だ。

    写真左上:建設途中のダイニング棟
    写真左下:完成間近の宿泊棟
    暖炉



       

    2-2. 明日はナイマークに会える

    ピーター 興奮からかなかなか寝付けない。明日はこのログハウス建設の指揮をとったビクター・ナイマーク氏に会える。
     私は寝室の机に向かい、質問すべき事を考え考えメモ書きにまとめようとした。
     そんなに多くのことは聞けまい。このログハウスの世界の大先達に何を聞いたら良いのだろう。
     シャトー・モンテベーロを建てた時の経験談は何百回と尋ねられ話し飽きているだろうか。いやこれは彼にとって生涯で最大の仕事、何度話しても話し飽きるなどということがあろうか。しかし、これはとても短い時間に語り尽くせるような事でもないな・・・

     わが身を振り返ってみると自分は40歳でこの世界に入った遅咲きのビルダー、29歳の年齢ではログハウスという世界のあることを意識してさえいなかった。  

     聞けるものなら聞いてみよう。「何故ログハウスの仕事を始めたのか、ログハウスのどこに魅せられたのか」と。

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    2-3. ナイマークの死

     翌朝のんびりと朝食を済ませたあと、昨日は暗くて見られなかったシャトー・モンテベーロの外観を眺めながらゆっくりと散歩していた。
     シャトー・モンテベーロは見る位置によって様々な表情を見せてくれるが、中庭からの眺めが一番形も良く迫力がある。
     どっしりとした石作りの一階部分に、二層のログの壁が載り、その対比が見事に調和している。屋根からはるか上に大暖炉が伸びている。
     散歩の途中でダンに出会った。私を探していたらしく深刻な顔をして話しがあるという。
    聞くと「ビクター・ナイマーク氏が高熱を出して寝込んでいる」という。一日おけば直るかと楽観していたが、今朝さらに熱が上がったという。あるいは風邪とは別の病気かもしれない。
     「日本からのお客に会い、モンテベーロの思いでを色々お話し出来るのを楽しみにしていたのですが残念です」との伝言だった。代わりに,サイン入りの「building the Chateau Montebello」(シャトーモンテベーロを建てる) という本をプレゼントしてくれた。

     当時83歳。その年齢からして、これから先会うチャンスは難しいだろうと思ったのだったが、その後数年して亡くなられたことを「ログホームガイド」という雑誌の記事で知った。
     悔いのない人生だったとろうと想像する。今はの際に、シャトー・モンテベーロの建設に全身全霊を捧げた若き日の思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡ったのではないだろうか。

     

    3.旅の終わり

     ピーターシャトー・モンテベーロに使用されているウエスタン・レッドシーダーは、あらゆる樹種のなかでも最も耐久性のある樹種の一つである。ホテルとして大事に使用され、手入れを怠らなければ今後何百年と建ち続けることだろう。
      
     8世紀に建てられた東大寺の正倉院が、現存する世界最古の木造建築物であるといわれている。願わくはシャトー・モンテベーロも1000年を超えて建ち続けて欲しいものである。
     そしてシャトー・モンテベーロが立ち続ける限り、ビクター・ナイマークの名前も伝説として語り継がれるに違いない。

     この世界一のログハウスを目にし、漠然とではあるが、「いつかこれを超えるログハウスを建てる」という夢が心の中に芽生えていた。

     ウエルズグレイ州立公園の大自然に抱かれて夢中で丸太に取り組んだ日々、バスに乗り見学したログハウスの数々。 そこに住む人々とビルダーたちとの出会い。飛行機を乗りカナダを横断して継いでたどり着いた世界一のログハウス、シャトーモンテベーロ。ついに会うことの叶わなかったビクターナイマーク・・・・・
     夢のように過ぎていった日々だった。
     旅は終わりに近づいていた。再びカナダを横断してモントリオール空港から一路日本へと向かう。 
    名残はつきないが日常へと帰って行かなくては。そして生まれた次なる目標へと。

    パンフレット


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