巨大ログハウス建築の物語
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 世界一のログ・ビルディングを建てた男  第2回 猛烈な勢いで工事が進む

世界最大のログの建築物 「シャトーモンテベーロ」
4ヶ月という、信じられないような短期間で造られたこの
建物と、不可能を可能にした男、ビクターナイマークの物語。 (三浦 雑誌連載より)

■主な内容
  • 幸運児ナイマークがその手に掴んだ大仕事
  • 与えられた時間は4ヶ月
  • 準備段階→いよいよ工事開始

  • 第1回 シャトー・モンテベーロとは

    第2回 猛烈な勢いで工事が進む

    第3回 シャトーの奇跡的な完成


    第2回  目次




















    1.フィンランドの幸運児

     20世紀がスタートした年1901年、ビクター・ナイマークはフィンランドに生まれた。
      北欧の国々の中でも、フィンランドは特に森林資源に恵まれていて、ログ建築が盛んだった。
      ナイマークも若い頃からログハウス作りの仕事に従事し、16歳にして早くも棟梁として最初の家を完成している。
     
      その後7年の間に数多くのログ建築に携わり、カナダに移住する前に、既に一流のビルダーとしての優れた技術を身につけていた。

     未知の世界への旅立ち
     
     そして1924年23才の時、大きな夢と未知の世界への憧れ、冒険心に駆られカナダへと旅立つ。
      身の回りの物を詰め込んだ麻の袋を担ぎ、モントリオールの港に下り立った、ナイマーク青年の姿を想像する。 身寄りがいるわけでもないし、英語もフランス語も片言しか話せない。頼れるのは身に付けた技術だけ。
      「だが果たしてカナダでその技術を生かす機会はあるのだろうか」。

     心配しても仕方がない「なるようになる」。 自分の道は自分の力で切り開いていく他ないではないか。
     未知の世界に足を踏み込んだナイマークの目は期待に輝いていたに違いない。
     その日から持ち前の行動力を発揮し道を切り開いていく。

     自分の技術を売り込む
     
     おりしも不況の真っ只中、(こんな時代に自分の腕を買ってくれそうなのは大金持ちしかいない)と考えたナイマークは景気の良さそうな企業のオーナーに狙いを絞り、自分の技術を売り込むことにした。
      まだ満足に英語を話せないので、友人に英語で経歴書を書いてもらいそれを持って売り込みに歩いた。
      モントリオール・スター新聞、セントローレンス砂糖、景気の良い証券会社・・・・等々、物おじすることなく飛び込んで行った。 その狙いがあたり、アルパインイン、ナイマークロッジ、サンフランシス協会など大きなログビルディングをてがけていく。

    2.大仕事を手に入れる

      モントリオールに住み着いて6年、29歳になっていたナイマークは、今やログビルディングの建築ではかなりの実績を積んでいた。
     ある日彼は新聞で胸を躍らせる記事を読んだ。パシフィック・レイルウエイ社がモンテベーロに巨大なログビルディングを計画しているという。 (これこそ俺の求めている仕事だ)と直感したナイマークは関係者に話しを聞くために急いで家を飛び出した。

     この素早い行動が彼に幸運をもたらす。運の良いことに計画はまだスタート段階で、これだけの大プロジェクトを誰に任せて良いものやら分からず、皆困っていたのである。

     この壮大なプロジェクトに与えられた期間はわずかに4ヶ月、まともに考えると不可能に近い。 しかし彼は全く怯むことなく自分の腕や経験を話して熱心に売り込み、その場でこの大仕事のマスタービルダーとして採用される。 ビクター・ナイマークはこの瞬間から、掴み取ったこの大仕事に全身全霊で取り組むことになる。
    1930年2月のことであった。

     ウォール街おける株の大暴落に端を発した世界恐慌の始まった翌年で、街には失業者が溢れかえっていた。この事業は失業者対策の一環でもあった。

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    3.準備段階

           
    鉄道の支線
    駅舎
           
      準備段階で重要なのは、いかにして大量の資材を建設現場に運ぶかという事であった。
    オタワ河に沿った道は軟弱で重い荷物を積んだトラックはとても走れない。


     ログビルディングに最適な丸太はウエスタン・レッドシダーだが、あいにく近くでは手に入らない。
      カナダを横断して遠くブリティッシュ・コロンビア州から何千キロもの旅をして運ばれる。



     その他カナダ各地から、ありとあらゆる資材をスケジュール通り現地に到着させなくてはならない。 完成の期日は決まっている。資材の遅れは許されない。

     



     
    最大時3500人もの職人を収容する宿舎群
     鉄道の支線を敷く
     
     結局パシフィック・レイルウエイ社が突貫作業で1200mの鉄道の支線を敷くことで解決した。 この線路の上を、予め綿密に組まれたスケジュールで、延べ1200台もの貨車が走ることになる。
     
     建築現場には15棟の仮設の建物が建てられた。従業員宿舎、各種の売店、食堂に混じって銀行まである。

     食堂では最盛期に3500人もの食事が用意された。

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    4.工事開始


     猛烈な勢いで工事が開始

      2月26日

     スチームパワーショベル(蒸気で動かす掘削機械)を用いてガレージ棟の掘削開始。
    それを追いかけるように型枠用のパネルが手際よくセットされ,配筋し、コンクリートを流し込んでゆく。
     

     3月15日
     ログ・シャトー本体の基礎工事スタート。宿泊棟であるウイングから開始。
     膨大な量のコンクリートや石が貨車で次々と運び込まれ始める。

     4月3日
     ログ・シャトーの基礎工事もかなり進みダイニングル-ムのアーチ状の石積みまで進む。
      早くもカレージの基礎が完成。 この日レッドシダーの丸太を満載した最初の貨車が到着。
       

     抜群の統率力 

     4月7日 いよいよログワークがスタートし、ナイマークの活躍が始まった。
     ログワークが始まるとナイマークは抜群の統率力を発揮する。 建設に参加した800人のビルダーを50人一組とするグループに分け、各組にリーダーを一人置き、有機的な組織作りをした。

    建設に参加したビルダー達

     工事は一瞬の停滞も許されない。24時間労働体制が敷かれ、一人が休憩に入るとすかさず交代のビルダーが作業を交代する。

      新しいメンバーが入ると必ず古参のメンバーと組み合わせる。作業可能な余分な場所には必ず人員を配し何処でも作業が行われている状態を維持し続けた。
      まるで戦場である。

      総指揮官であるナイマークは常に全体を掌握し工程を監理しなければならない。 人、資材、機械を如何に無駄なく配置するか。
      虫の目で細かいところに気を配り鳥の目で全体を俯瞰し常に先を先と読んでいく。
     
     戦う相手は時間

     800人のビルダーは若いナイマークを信頼し、一糸乱れず作業を進めていく。
     この建設に参加したログ・ビルダーの多くはヨーロッパからの移住者で、スカンジナビアやロシアの高度な技術を習得した人たちだった。 それは強固で耐久力を有し、厳しい気候にも耐え得る建物を建てる、数百年にわたって受け継がれた優れた技術だった。

      ちなみに彼等に対して支払われた給料は時給50セント、これは当時の一流の技術者に対して支払われたと同じ額だった。

     

    5.工事は進む

          
       効率よく丸太を動かすため 木のレールが設けられた 
     運ばれた丸太は何列にも組まれた木のレールの上を流れ作業で加工されていく。  皮をむき必要な長さにカットされ、必要な場所へと運ばれる。建物のヵ所により、異なった工法が取られた。
      
     出来るだけ効率よく組むため、壁は丸太を短くカットし柱と柱の間にスライドさせながら組んでいく工法(ピースエンピース工法)と コーナー部分をインターロックさせて組む工法(ノッチ組工法)を併用した。
      小屋組みや柱梁を組むヵ所には複雑な継ぎ手が用いられる


     設計士はログの工法に精通しているわけではない。むしろ現場の判断にゆだねられる場合が多い。 それだけに豊富な経験と全てのログ技術に習熟していなければ全体の指揮は取れない。

      故国フィンランドで培ってきた技術、そしてカナダに移住してからこの6年間に、ナイマークは規模が大きく、難しい技術を要求される多くのログ建築をこなしてきた。
    その技術と経験の全てをこの仕事に注ぎこんだ。
      


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