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ロガーの末裔たち 第3回 ティンバーショーとは


では実際のショーの一部を紹介しよう
これはウイックハイム・ティンバーショーのパンフから
抜粋したもの。

バンクーバーで開かれたときの模様である。
規模観客数とも、カナダでの人気を物語っている

ロガーの末裔たち 第1回  誇り高き男たち

ロガーの末裔たち 第2回  ロガーたち

ロガーの末裔たち 第3回 ティンバーショーとは

ロガーの末裔たち 第4回 ショーの準備と開演

ロガーの末裔たち 第5回 樹齢3000年の巨木


第ロガーの末裔たち第3回  目次












1ティンバーショー

                 「皆さん間もなくウイック・ハイム ティンバーショーの始まりです。
さあそれでは60年前の世界にタイムスリップしましょう。
 場所はカナダのノースウッドにある湖のほとりです。
今日のような良い天気であたりには緑の匂いが漂っています。
近くのきこり達が昔ながらの腕自慢に集まってきました。 さあ、ノースウッドの戦いの始まりです」

 緑化フェアの目玉ウイック・ハイムティンバーショーがいよいよ幕をあけた。
司会を務めるのは地元のTV局の人気ディスク・ジョッキー。
 ショーは一日三回、各回約30分、その短い時間の中で次から次へと競技を繰り広げていく。
まず競技内容を手短に説明したあと、スポーツの実況の感じで緊迫感を盛り上げていく。
種目によってはたくみにユーモアを交え観客を笑わせる。
外観からは完成しているようにみえるのだが

 ショーの成功には良い台本とそれをたくみに表現して
くれる司会者の腕が欠かせない。
 ウイックハイムク氏 より送られて来た資料をもとに台本が作られた。

                 最初のこの導入で興味をひきつけ観客を乗せていかなくてはならない。
  司会者も心なしか緊張気味である。 

 この日からひと月間日本で初めてのこのショーが、この特設会場で繰り広げられる。
 日本でなじみの薄いこのショーが果たして受け入れられるだろうか?

                    写真右:木のぼり競争





2.ティンバー・ショーを引き受ける

               本格的なティンバーショーを、その中心となって紹介するという仕事にめぐり合わせた。 いわば「呼び屋さん」の真似事を経験したわけである。1991年北九州市で緑化フェアが開催される事になった。

 毎年大都市で回り持ちで開催されてきた結構メジャーなフェアで昭和58年、第一回が大阪で開催されたのを皮切りに、 東京、神戸、札幌、熊本、埼玉、名古屋、仙台と続き北九州市は第八回目である。
北九州市はかなり力を入れて取り組んでいた。
外観からは完成しているようにみえるのだが

 その目玉の一つとしてティンバー・ショーを企画しているのだが、どうやって呼んだらよいのか分からず、 主催者側は近藤さんという私の知り合いに相談を持ちかけた。

 ティンバー・ショー? 「そういえば三浦の亮ちゃんがログハウス作りをやっている、あいつなら何とかしてくれるのでは」 と考えた近藤さんは私にこの話を振ってきた。

 丁度ハンドカットのログハウス・メーカーの協会、ログハウス・フォーラムという 組織を立ち上げて間もない頃の事で、協会運営のための資金稼ぎになりそうだという下心と、面白そうだという好奇心とで 引き受けた。

 ショーだけではなく会場の近くにログハウスを一棟建てるというおまけもついた。 これは私のログ・スクールの生徒で、福岡でログハウスの会社をやっている中村兄弟に協力して貰えば何とでもなる。   
                                        スプリングボードの上で斧を振るうロッガー  
 ロガースポーツをショーに仕立て上げたものが
ティンバー・ショーである。ではそのロガースポーツとは?

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3.ロガースポーツ

                一番分かり易いのは木登り競走であろう。前回紹介したハイリガーの技術である。
木を駆け登り 、てっぺんにある鐘をならし、より早く地面に降り立った者の勝ちというスリリングで
実に単純明快な競技だ
 
外観からは完成しているようにみえるのだが スプリングボード・チョッピングという種目がある。2.5mほどの丸太が地面に立っている。この丸太に斧で刻みを入れてスプリングボードを差し込み、その板に飛び乗り丸太の上部をカットする。
 早くカットし終えた方の勝ちである。これも前回紹介した、大木を倒そうとする時に用いられた技術である

 ログバーリング、水に浮かべた丸太の上にふたりが乗り、脚で丸太を回し、相手を先に水に落としたほうが勝ち。

湖に集積した丸太を筏に組んで運ぶ。
いかだを組むためにはバランスと取りながら丸太の上を飛び回る技術が要求される。 そんな仕事の合間に丸太の上に乗り、落としっこをしたのであろう。

  的に向かって斧を投げ突き刺すアックス・スローイング。これは次に倒そうとする木にアックスを投げて 目印にした
というのが由来である。

 その他チェーンソーやノコギリなどの道具を使った競技といろいろあり、 いずれも自然に発生した遊びの延長上にある競技である。
それぞれ性格も要求される能力も違う独特で実に多彩なスポーツだ。

4ロガースポーツの歴史

      多くのスポーツの原点は遊びであるが、ロガースポーツもその例に漏れない。
山にこもり伐採や木材の運搬などの作業に従事する男、ロガー達が、仕事の合間に遊び半分 に
あるいは本気で腕比べをしたのがこのロガースポーツの元になっている。 

 人力で行われた仕事の殆どが機械に取って代わられ、現在では実用性を失っているが、 連綿を受け継がれた技術を絶やしたくないという思いが根底にはあるようだ。

 他の多くのスポーつが、もととなる遊びから進化し洗練され、複雑なルールに縛られているのに比べると、 ロガースポーツは、その元となる仕事の内容がそのまま分かり、
勝敗も単純明快で素朴な楽しさに溢れている。

カナダ・アメリカでは人気があって、大きな大会ともなると、何千人もの観客が集まる。
残念ながら正確な記録は手に入らなかったが、ロガースポーツの歴史は結構古いようだ。

 1899年ミネソタでログバーリングの大会が開かれたという記録がある。 ロガースポーツの大会として一番長く続いているのが、バンクーバー島の南端に近いスークという人口わずか 3千人ほどの小さな町で開かれている大会で1934年から途切れることなく続いている。
それだけに多くの名選手やチャンピョンがこの町やバンクーバー島から出ている。

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5契約までの経緯

   さて引き受けたは良いが、どこでそんな情報が手に入るのか。 (そうだカナダ大使館の矢崎さんに聞けば何か教えてもらえるかもしれない。) 私がログ・スクールを開く時カナダ大使館が後援してくれた。    

 その時担当者として親身になって相談に乗ってくれたのが矢崎商務官であった。
無類の世話好きでその後も何かと大使館に顔を出して相談に乗って貰っていた。
赤坂の大使館に出向き矢崎さんに事情を話すと、好奇心旺盛な矢崎さんは「それは面白そうだな」と協力を約束してくれた。

 「もし実現したらカナダ大使館の後援を取り付けてあげるよ」というありがたいおまけもつけて2〜3日して矢崎さんから連絡が来た。
 ウイック・ハイム氏というのがどうやらこのショーの世界の第一人者らしいという。
部分的に紹介された事はあるが、ショーをフルセット本格的に日本でやるのは初めてであることも分かった。
ウイック・ハイム氏は、かってログバーリングの世界チャンピョンを十度獲得しギネスブック入りしたこともある、この世界の名物男である。
趣味が高じて1970年、ついにウイックハイム・ティンバーショーズ゙を結成し、以来世界中でティンバーショーを公演して歩いている。
外観からは完成しているようにみえるのだが
 早速ウイック・ハイム氏とコンタクトを開始した。
時期、参加人員、契約金、その支払い方法、色々な経費の負担などなど、 何度かやりとりを続け合意に達し、ウイックハイム・エンタプライズの代表ウイックハイム氏とログハウス・フォーラムの代表として私がサインして契約。

そしてそれをベースに緑化フェア実行委員会と交渉を重ね、北九州市と契約を交わした。
ログハウスの建設を含めフォーラムとの契約金額は4500万ほどの金額であったが、会場の設営や一月間のショーの 運営一切の費用を考えるとショー関連全体では 3億以上掛かったのではないかと推定している。

このショーが目玉の一つとなりフェアが大成功に終わったことを考えると北九州市にとっては良い買い物だったと思う。 ちなみにもうひとつの目玉がゴッホの「ひまわり」の展示だった。
   

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